燻る煙草は口に苦し(朗読劇用)
登場人物
佐川…ヤニカスの20歳 男
宮木…酒カスの23歳 性別未定
母…佐川の母
ナレーション…淡々とした声で状況説明
開幕
ナレーション「それは、三月も暮れに近い夜のことでした。青年は公園を一人、星明りを頼りに歩いていました」
SE、砂の上を歩く音
ナレーション「彼の名を、佐川といいます。二十歳前後の大学生で、少しだけ猫背気味です。やがて彼は、常夜灯に照らされたベンチに腰掛け、上着から白い箱を取り出しました」
SE、ライターで火をつける音
ナレーション「彼は毎晩、ここで煙を燻らせています。今夜も変わらず、一つ、また一つと、静かに灯火をつけては、夜に溶かしていました」
佐川「さむ……」
ナレーション「夜の静けさを破るのは、彼の呼吸と、ライターの音。深々と夜は更けていきます。彼は小さく、息を吐きました。その白さは、まだ残る寒さによるものか、そ」(れとも)
宮木「あの」(ナレーションに被せて)
佐川「うわああああああああああ!」
宮木「そんなに?」
佐川「え、あ、すみません。その、足音も何も、しなかったので」
宮木「あぁ。癖になってるんですよね」
佐川「え?」
宮木「冗談ですよ」
佐川「はぁ」
ナレーション「いきなり現れたその人物は、宮木という名前をしています。こういうとまるで人間じゃないように感じるかもしれませんが、しかしながら本当に、それを人間だと思うことができないのです。三寒四温の三寒にあたる夜だというのに、スーツ一枚で佇むその姿は、浮世離れしていました」
宮木「あの、お隣、いいですか?」
佐川「え? あー、はぁ」
宮木「失礼します。あっ、煙草、消さなくていいですよ」
佐川「あ、そうですか?」
宮木「はい」
宮木、咳払い
佐川「あぁ、そっち風下になりますね。場所変わります?」
宮木「はい。お気遣いありがとうございます」
佐川「いえ」
ナレーション「再び、夜は静寂に染められます。静寂、ではあるのですが、先ほどまでの清閑な静けさとは違った、気もそぞろになるようなしじまが、そこにはありました。牛乳に一滴だけコーヒーを加えたような、あるいは、コーヒーに一滴だけ牛乳を」(加えたような)
宮木「よく、ここに来るんですか?」(ナレーションに被せて)
佐川「え?」
宮木「あ、よく、ここに来るんですか?」
佐川「あぁ、はい。あなたも?」
宮木「私は、機会があれば、ですね」
佐川「機会、ですか」
宮木「えぇ。あ、お酒飲んでもいいですか?」
佐川「えっ、はぁ」
宮木「ありがとうございます」
SE、缶を開ける音
宮木「……っかぁ! 沁みるぜ!」
佐川「お酒、お好きなんですか?」
宮木「まぁ、割と。君は?」
佐川「僕は、あまり飲まないですね。まだ学生ですし」
宮木「え、まさか未成年喫煙?」
佐川「成人してます」
宮木「あぁ。大学生?」
佐川「そうです」
宮木「そっかそっか。いいなぁ、大学生」
佐川「大学、通われてたんですか?」
宮木「いや、高校卒業して、そのまま就職した」
佐川「そうなんですね」
宮木「そうそう。私もキャンパスライフとやらを送ってみたかったなー。友達と夜遅くまで飲んだり、新歓で酔いつぶれたり、バイト先の先輩たちと飲み会したりしたかったな!」
佐川「お酒関連しかないですね」
宮木「まぁ、学生は飲んでなんぼでしょ!」
佐川「すごい偏見ですね。……そんなものじゃ、ないですよ」
宮木「え、そうなの?」
佐川「えぇ。人によりますけど、僕は夜遅くまで誰かといるってことがないですね」
宮木「そうなんだ。夜は苦手?」
佐川「いえ、好きですよ。夜の、寝静まった感覚が好きです。町も人も太陽も、瞼を閉じて夢に浸る。子供のころの味わえなかった特別を楽しんでいる気がして、とても好きです」
宮木「あぁ、わかるかも。夜は全てを許してくれそうだし」
佐川「そうですね」
宮木「あと、人ならざるものとも、出会うかもしれないしね」
佐川「えっ」
宮木「冗談だよ」
佐川「はぁ」
宮木「でも、じゃあなんで夜に出掛けないの? 友達がいないとか?」
佐川「いや、友達はいるんですけど……俺、実家暮らしなんですよ。それで、親が厳しくて、親が寝た後にしか外出できないんですよね」
宮木「なるほど。それは大変だね」
佐川「まぁ……でも、あの人は、俺がいないとダメなんです」
宮木「あの人?」
佐川「母親です。早くに父が他界して、俺と母さんの二人だけで暮らしてきたんです」
ナレーション「そう言って佐川が話し始めたのは、母との二人暮らしの日々でした」
音楽
母『うっ、あなた……』
佐川「母さん、ごはん……なんでもない」
母『あなた……あぁ、いっそ……』
ナレーション「最愛の人を失った佐川の母は、毎日、悲しみに沈んでいました。寝ている時間以外ほぼすべてに涙が存在して、時折、思い出したように佐川に声をかけ、またすぐに滴を落としました。そんな母を、佐川は精一杯支えました。料理も掃除も洗濯も、身の回りのことは全て佐川がしました。大切な母がまた笑えるように、できる限り尽くしていたのです。しかし、ある日」
母『あなたは、お父さんによく似ているわね』
佐川「え?」
母『ふふ……こっちにおいで』
佐川「母さん?」
ナレーション「佐川の母は、突然涙を流さなくなりました。代わりに、佐川に優しく接するようになりました。以前から優しい人ではあったのですが、もう一段階優しくなったというか、人が変わったというか……言葉にできない不穏さが、そこにはありました」
母『これ、似合うんじゃない? 着てみてよ』
佐川「え、でもそれは父さんの」
母『いいから、ほら』
佐川「うーん」
母『あらぁ、やっぱり似合うわねぇ。あ、そうだ。今度それ着てお出かけしましょうよ。どこがいいかしら。海辺の公園とかいいわね』
佐川「母さん、俺は父さんじゃないんだよ」
母『……わかってるわ』
佐川「あ、いや、俺もごめん」
ナレーション「佐川の母は、佐川の向こうに父を見ていました。そのことを指摘すると、決まって母はとても悲しい顔をしました。そんな母を見た佐川は、段々と何も言えなくなりました」
母『え、大学に行く……? 私から、離れていくの?』
ナレーション「もちろん、佐川は大反対されました。父は高卒で就職していたということもあるのでしょう。その頃には、母の中で佐川と父の境界線は曖昧になっており、向こうに見るというより、父にもう一度出会おうとしていました。そんな母の考えに気づいた佐川は、父と最も遠い存在になろうと煙草を吸い始めました。俺と父は違う。目を覚まして。俺を俺だと認識して。説得に説得を重ねて、実家を出ないという条件付きで、大学に通うことになりました。でも、佐川は、母から離れることができない」
母『私から、離れていかないでね』
ナレーション「その言葉に今も」
佐川「囚われ続けています」
音楽、フェードアウト
宮木「そう、だったんだ」
佐川「あ、すみません長々と」
宮木「いや、いいよ。誰かに話すって、大切なことだから」
佐川「ありがとうございます」
宮木「うん。そっか、君が煙草を吸うのにはそんなわけがあったんだね」
佐川「わけってか、きっかけみたいな感じですけどね」
宮木「そっかそっかぁ」
間
宮木「でも、それ全部、嘘だよね?」
佐川「え?」
ナレーション「え?」
宮木「今の話。全部、さっき君が考えた、作り話だよね?」
佐川「どういう、ことですか?」
宮木「今日、ここで君に会ったの、偶然だと思う?」
佐川「……いえ」
宮木「だよね」
佐川「最初から、何か目的があるんだろうなとは思っていました」
宮木「だから、本当のことは話せなかった?」
佐川「この話が、嘘だと思うんですか?」
宮木「そうだね、嘘にしては出来過ぎている。いくつかは本当の部分もあるだろう。嘘は、真実を少しだけ混ぜることで、より本物に近い偽物になるからね」
佐川「本物、なんですけどね」
宮木「私はある人から依頼を受けて、君に会いに来たんだ。誰だと思う?」
佐川「さぁ」
宮木「君の、お母さんだよ」
佐川「母さん? ハッ、それこそ嘘でしょう。だって母さんは、」
宮木「母さんは?」
佐川「……あなたに、頼まない。何も探ることなんてないじゃないですか。それに、母さんはずっと家にいて」
宮木「例えば、君が学校に行っている時間、お母さんは何をしていると思う? 本当にずっと家にいる? なぜそれが断言できる? 家から出て買い物をしている可能性もある。散歩したくなる時もあるかもしれない。もしかすると、私のところに来ているかも。毎日何を見て何を思って過ごしているかなんて、家族であってもわからない。むしろ、家族だからこそわからないもんだよ」
佐川「それは、そうですが……でも、母さんはあなたに頼めない」
宮木「頼まない、じゃなくて、頼めない、か。そんなに強く否定する理由は?」
佐川「だって、母さんは」
宮木「母さんは?」
佐川「母さん、は……」
宮木「もう、死んでいるから?」
間
佐川「なんで」
宮木「言ったでしょう。あなたのお母さんから依頼を受けた、と。依頼主のことも把握しておかないと、どこで寝首を搔かれるかわからないからね」
佐川「え、あの」
宮木「いやぁそれにしても驚いたよ。幽霊ってあんなにハッキリ見えるものなんだね。たしかに思い出すと……あぁ、何から聞いたらいいかわからない、って顔してるね」
佐川「すみません、状況が」
宮木「そうだよね。んー、聞きたいのは、私のこと? それとも、お母さんのこと?」
佐川「……ど」(っちも聞きたいです)
宮木「あーまって。どっちもっていうのはナシ! 話してると、きっと夜が明けてしまう」
佐川「じゃあ、母さんのことを」
宮木「おっけー。君の母さんは、どれくらいかな。もうずっと前に……多分、亡くなる少しだけ前に、私の所へ来たんだ。君が20歳になったら、この手紙を渡してほしい、って。本当はそこで色々と打ち合わせをしなきゃなんだけど、気迫がすごくて、でも、声は儚くて。君の名前と手紙だけ受け取って、それ以上何も交わせなかった。その名前だけ頼りに探して、今日、君と出会えた。いや、出会ったんだ」
佐川「そう、だったんですね。あれ、でも僕、もう20超えてしばらく経ちますが」
宮木「名前だけを頼りに人を見つけるのって、かなり時間がかかるんだ」
佐川「あ、そうですよね。なんかすみません」
宮木「ハハッ、冗談だよ」
佐川「え?」
宮木「本当は、わりと早めに君を見つけてたんだ。すぐに渡してもよかったんだけど、一応依頼だし、20歳になるまで待ってたんだよ。君や君のお母さんのことを調べながらね」
佐川「それは……えっと」
宮木「あぁもちろん、情報はもらしてないし、悪用するつもりもないよ。ただ、この依頼の安全性を確かめてただけさ。まぁ、だとしても、知らない人に身辺を調べられるのは、気分が良くないよね。ごめんね」
佐川「いえ……じゃあ、なんで?」
宮木「君が20歳になる前日、またしても君のお母さんは私の所に現れたんだ。もちろん、というと不謹慎かもしれないけど、生きてはいない。いわゆる幽霊だね。その姿で、私に言ったんだ」
母『少しだけ、待ってもらえませんか? 手紙を、書き直したくて』
宮木「あっちのほうの話はよくわからないんだけど、なんか、後悔とかあると輪廻転生の輪に還れないんだって。だから、手紙を渡す前に、こっちの世界に降りてきて、って表現が合ってるのかな。ともかく、幽霊になって、書きなおしにきたんだ。君のお母さんはずっと、後悔していたんだね」
佐川「後悔……ですか」
宮木「まぁ、詳しいことはきっと、この手紙に書いてあるよ。今日はもう遅いから、家に帰ってゆっくり読みな」
佐川「そう、ですね。そうします」
佐川、長めに息を吐く。
佐川「あなたは?」
宮木「ん?」
佐川「帰らないんですか?」
宮木「あぁ。もう少し、花見酒を楽しもうかなと思って」
佐川「花見……? あぁ」
宮木「これ見ながら飲む酒が、一番美味いんだよな! っかー!」
佐川「ほどほどにしてくださいね」
宮木「君もね」
佐川「はい。それでは、おやすみなさい」
宮木「うん、おやすみ」
間
宮木「さてと、初仕事はどうだった?」
ナレーション「難しいです。あんなの、予測できません」
宮木「まぁそうだよね。でも人生なんて、あんなのがいっぱいだよ」
ナレーション「なんでもっと単純にならないんですか」
宮木「なんでと言われましても……予測できないから、人生は楽しいんじゃない?」
ナレーション「そんなもんですかね。自分は、わからないから怖いです」
宮木「そっか。ま、今回のは準備不足だったね。ちゃんと調べてたら、最後まで上手くつなげられたよ。どこかの誰かの人生を、ドラマとして伝える。それが私たちの仕事なんだから」
ナレーション「……すみません」
宮木「また次、がんばろ」
ナレーション「はい。あ、そういえば」
宮木「ん?」
ナレーション「なんであの人のお母さんは、手紙を書きなおしに来たんですか?」
宮木「あぁ。……旦那さんも、煙草を吸っていたんだって」
ナレーション「あぁ、なるほど」
宮木「思い出は、思い出すからちょうどいいんだよ」
ナレーション「そうですね」
宮木「うん。あ、次の依頼なんだけど、姉妹の日常を観たいらしくて……」
声、フェードアウト
音楽
母「最愛の息子へ。
こんな形でさよならを告げること、本当に申し訳なく思っています。
母としてあなたを育てなくてはいけないのに、私はずっと泣いてばかりでした。
寝ても覚めてもあの人はいなくて、ただ残り香と思い出だけがあって、幸せに終わりが来ることが、こんなに辛いとは思いませんでした。
でもそれが、あなたを置き去りにする言い訳にはなりません。
あの日、私はあの人の後を追ってしまおうと思っていました。
でも直前であなたの顔が浮かんで、今も一人で待っているのだろうか、もし私がいなくなったらどうなってしまうだろうか。母としての自覚が、あなたへの愛が、私の足を引き留めました。
家に帰ろう。帰って、あなたとご飯を食べよう。
そう思ったのです。
だから、あれは事故だったのです。
足元が崩れて、冷たい海に落ちたのは。
私のせいで、心ない言葉をたくさんかけられましたね。
過度な心配や好奇の目を向けられ、あなたは人を避けるようになりました。
あなたを守るはずが、あなたを追いつめることになってしまった。
本当に、本当にごめんなさい。
季節が幾度も巡り、あなたは大人になりました。
あの人と同じ、煙草を吸うようになりました。
咎めはしません。だって、あなたの人生だから。
あなたは、あなたらしく生きていいんです。
もう、私たちの影を追わなくていいんだよ。
あなたが私を支えようとしてくれたこと、帰り道でしっかり手を繋いでくれたこと、今でも鮮明に思い出せます。
その優しさは、強さは、これから先、あなたを幸せにするでしょう。
だから、自分を大切に、肩の力を抜いて、生きてね。
ごめんね。ありがとう。愛しています。
母より」
佐川「……おやすみなさい、母さん」
終幕
登場人物
佐川…ヤニカスの20歳 男
宮木…酒カスの23歳 性別未定
母…佐川の母
ナレーション…淡々とした声で状況説明
開幕
ナレーション「それは、三月も暮れに近い夜のことでした。青年は公園を一人、星明りを頼りに歩いていました」
SE、砂の上を歩く音
ナレーション「彼の名を、佐川といいます。二十歳前後の大学生で、少しだけ猫背気味です。やがて彼は、常夜灯に照らされたベンチに腰掛け、上着から白い箱を取り出しました」
SE、ライターで火をつける音
ナレーション「彼は毎晩、ここで煙を燻らせています。今夜も変わらず、一つ、また一つと、静かに灯火をつけては、夜に溶かしていました」
佐川「さむ……」
ナレーション「夜の静けさを破るのは、彼の呼吸と、ライターの音。深々と夜は更けていきます。彼は小さく、息を吐きました。その白さは、まだ残る寒さによるものか、そ」(れとも)
宮木「あの」(ナレーションに被せて)
佐川「うわああああああああああ!」
宮木「そんなに?」
佐川「え、あ、すみません。その、足音も何も、しなかったので」
宮木「あぁ。癖になってるんですよね」
佐川「え?」
宮木「冗談ですよ」
佐川「はぁ」
ナレーション「いきなり現れたその人物は、宮木という名前をしています。こういうとまるで人間じゃないように感じるかもしれませんが、しかしながら本当に、それを人間だと思うことができないのです。三寒四温の三寒にあたる夜だというのに、スーツ一枚で佇むその姿は、浮世離れしていました」
宮木「あの、お隣、いいですか?」
佐川「え? あー、はぁ」
宮木「失礼します。あっ、煙草、消さなくていいですよ」
佐川「あ、そうですか?」
宮木「はい」
宮木、咳払い
佐川「あぁ、そっち風下になりますね。場所変わります?」
宮木「はい。お気遣いありがとうございます」
佐川「いえ」
ナレーション「再び、夜は静寂に染められます。静寂、ではあるのですが、先ほどまでの清閑な静けさとは違った、気もそぞろになるようなしじまが、そこにはありました。牛乳に一滴だけコーヒーを加えたような、あるいは、コーヒーに一滴だけ牛乳を」(加えたような)
宮木「よく、ここに来るんですか?」(ナレーションに被せて)
佐川「え?」
宮木「あ、よく、ここに来るんですか?」
佐川「あぁ、はい。あなたも?」
宮木「私は、機会があれば、ですね」
佐川「機会、ですか」
宮木「えぇ。あ、お酒飲んでもいいですか?」
佐川「えっ、はぁ」
宮木「ありがとうございます」
SE、缶を開ける音
宮木「……っかぁ! 沁みるぜ!」
佐川「お酒、お好きなんですか?」
宮木「まぁ、割と。君は?」
佐川「僕は、あまり飲まないですね。まだ学生ですし」
宮木「え、まさか未成年喫煙?」
佐川「成人してます」
宮木「あぁ。大学生?」
佐川「そうです」
宮木「そっかそっか。いいなぁ、大学生」
佐川「大学、通われてたんですか?」
宮木「いや、高校卒業して、そのまま就職した」
佐川「そうなんですね」
宮木「そうそう。私もキャンパスライフとやらを送ってみたかったなー。友達と夜遅くまで飲んだり、新歓で酔いつぶれたり、バイト先の先輩たちと飲み会したりしたかったな!」
佐川「お酒関連しかないですね」
宮木「まぁ、学生は飲んでなんぼでしょ!」
佐川「すごい偏見ですね。……そんなものじゃ、ないですよ」
宮木「え、そうなの?」
佐川「えぇ。人によりますけど、僕は夜遅くまで誰かといるってことがないですね」
宮木「そうなんだ。夜は苦手?」
佐川「いえ、好きですよ。夜の、寝静まった感覚が好きです。町も人も太陽も、瞼を閉じて夢に浸る。子供のころの味わえなかった特別を楽しんでいる気がして、とても好きです」
宮木「あぁ、わかるかも。夜は全てを許してくれそうだし」
佐川「そうですね」
宮木「あと、人ならざるものとも、出会うかもしれないしね」
佐川「えっ」
宮木「冗談だよ」
佐川「はぁ」
宮木「でも、じゃあなんで夜に出掛けないの? 友達がいないとか?」
佐川「いや、友達はいるんですけど……俺、実家暮らしなんですよ。それで、親が厳しくて、親が寝た後にしか外出できないんですよね」
宮木「なるほど。それは大変だね」
佐川「まぁ……でも、あの人は、俺がいないとダメなんです」
宮木「あの人?」
佐川「母親です。早くに父が他界して、俺と母さんの二人だけで暮らしてきたんです」
ナレーション「そう言って佐川が話し始めたのは、母との二人暮らしの日々でした」
音楽
母『うっ、あなた……』
佐川「母さん、ごはん……なんでもない」
母『あなた……あぁ、いっそ……』
ナレーション「最愛の人を失った佐川の母は、毎日、悲しみに沈んでいました。寝ている時間以外ほぼすべてに涙が存在して、時折、思い出したように佐川に声をかけ、またすぐに滴を落としました。そんな母を、佐川は精一杯支えました。料理も掃除も洗濯も、身の回りのことは全て佐川がしました。大切な母がまた笑えるように、できる限り尽くしていたのです。しかし、ある日」
母『あなたは、お父さんによく似ているわね』
佐川「え?」
母『ふふ……こっちにおいで』
佐川「母さん?」
ナレーション「佐川の母は、突然涙を流さなくなりました。代わりに、佐川に優しく接するようになりました。以前から優しい人ではあったのですが、もう一段階優しくなったというか、人が変わったというか……言葉にできない不穏さが、そこにはありました」
母『これ、似合うんじゃない? 着てみてよ』
佐川「え、でもそれは父さんの」
母『いいから、ほら』
佐川「うーん」
母『あらぁ、やっぱり似合うわねぇ。あ、そうだ。今度それ着てお出かけしましょうよ。どこがいいかしら。海辺の公園とかいいわね』
佐川「母さん、俺は父さんじゃないんだよ」
母『……わかってるわ』
佐川「あ、いや、俺もごめん」
ナレーション「佐川の母は、佐川の向こうに父を見ていました。そのことを指摘すると、決まって母はとても悲しい顔をしました。そんな母を見た佐川は、段々と何も言えなくなりました」
母『え、大学に行く……? 私から、離れていくの?』
ナレーション「もちろん、佐川は大反対されました。父は高卒で就職していたということもあるのでしょう。その頃には、母の中で佐川と父の境界線は曖昧になっており、向こうに見るというより、父にもう一度出会おうとしていました。そんな母の考えに気づいた佐川は、父と最も遠い存在になろうと煙草を吸い始めました。俺と父は違う。目を覚まして。俺を俺だと認識して。説得に説得を重ねて、実家を出ないという条件付きで、大学に通うことになりました。でも、佐川は、母から離れることができない」
母『私から、離れていかないでね』
ナレーション「その言葉に今も」
佐川「囚われ続けています」
音楽、フェードアウト
宮木「そう、だったんだ」
佐川「あ、すみません長々と」
宮木「いや、いいよ。誰かに話すって、大切なことだから」
佐川「ありがとうございます」
宮木「うん。そっか、君が煙草を吸うのにはそんなわけがあったんだね」
佐川「わけってか、きっかけみたいな感じですけどね」
宮木「そっかそっかぁ」
間
宮木「でも、それ全部、嘘だよね?」
佐川「え?」
ナレーション「え?」
宮木「今の話。全部、さっき君が考えた、作り話だよね?」
佐川「どういう、ことですか?」
宮木「今日、ここで君に会ったの、偶然だと思う?」
佐川「……いえ」
宮木「だよね」
佐川「最初から、何か目的があるんだろうなとは思っていました」
宮木「だから、本当のことは話せなかった?」
佐川「この話が、嘘だと思うんですか?」
宮木「そうだね、嘘にしては出来過ぎている。いくつかは本当の部分もあるだろう。嘘は、真実を少しだけ混ぜることで、より本物に近い偽物になるからね」
佐川「本物、なんですけどね」
宮木「私はある人から依頼を受けて、君に会いに来たんだ。誰だと思う?」
佐川「さぁ」
宮木「君の、お母さんだよ」
佐川「母さん? ハッ、それこそ嘘でしょう。だって母さんは、」
宮木「母さんは?」
佐川「……あなたに、頼まない。何も探ることなんてないじゃないですか。それに、母さんはずっと家にいて」
宮木「例えば、君が学校に行っている時間、お母さんは何をしていると思う? 本当にずっと家にいる? なぜそれが断言できる? 家から出て買い物をしている可能性もある。散歩したくなる時もあるかもしれない。もしかすると、私のところに来ているかも。毎日何を見て何を思って過ごしているかなんて、家族であってもわからない。むしろ、家族だからこそわからないもんだよ」
佐川「それは、そうですが……でも、母さんはあなたに頼めない」
宮木「頼まない、じゃなくて、頼めない、か。そんなに強く否定する理由は?」
佐川「だって、母さんは」
宮木「母さんは?」
佐川「母さん、は……」
宮木「もう、死んでいるから?」
間
佐川「なんで」
宮木「言ったでしょう。あなたのお母さんから依頼を受けた、と。依頼主のことも把握しておかないと、どこで寝首を搔かれるかわからないからね」
佐川「え、あの」
宮木「いやぁそれにしても驚いたよ。幽霊ってあんなにハッキリ見えるものなんだね。たしかに思い出すと……あぁ、何から聞いたらいいかわからない、って顔してるね」
佐川「すみません、状況が」
宮木「そうだよね。んー、聞きたいのは、私のこと? それとも、お母さんのこと?」
佐川「……ど」(っちも聞きたいです)
宮木「あーまって。どっちもっていうのはナシ! 話してると、きっと夜が明けてしまう」
佐川「じゃあ、母さんのことを」
宮木「おっけー。君の母さんは、どれくらいかな。もうずっと前に……多分、亡くなる少しだけ前に、私の所へ来たんだ。君が20歳になったら、この手紙を渡してほしい、って。本当はそこで色々と打ち合わせをしなきゃなんだけど、気迫がすごくて、でも、声は儚くて。君の名前と手紙だけ受け取って、それ以上何も交わせなかった。その名前だけ頼りに探して、今日、君と出会えた。いや、出会ったんだ」
佐川「そう、だったんですね。あれ、でも僕、もう20超えてしばらく経ちますが」
宮木「名前だけを頼りに人を見つけるのって、かなり時間がかかるんだ」
佐川「あ、そうですよね。なんかすみません」
宮木「ハハッ、冗談だよ」
佐川「え?」
宮木「本当は、わりと早めに君を見つけてたんだ。すぐに渡してもよかったんだけど、一応依頼だし、20歳になるまで待ってたんだよ。君や君のお母さんのことを調べながらね」
佐川「それは……えっと」
宮木「あぁもちろん、情報はもらしてないし、悪用するつもりもないよ。ただ、この依頼の安全性を確かめてただけさ。まぁ、だとしても、知らない人に身辺を調べられるのは、気分が良くないよね。ごめんね」
佐川「いえ……じゃあ、なんで?」
宮木「君が20歳になる前日、またしても君のお母さんは私の所に現れたんだ。もちろん、というと不謹慎かもしれないけど、生きてはいない。いわゆる幽霊だね。その姿で、私に言ったんだ」
母『少しだけ、待ってもらえませんか? 手紙を、書き直したくて』
宮木「あっちのほうの話はよくわからないんだけど、なんか、後悔とかあると輪廻転生の輪に還れないんだって。だから、手紙を渡す前に、こっちの世界に降りてきて、って表現が合ってるのかな。ともかく、幽霊になって、書きなおしにきたんだ。君のお母さんはずっと、後悔していたんだね」
佐川「後悔……ですか」
宮木「まぁ、詳しいことはきっと、この手紙に書いてあるよ。今日はもう遅いから、家に帰ってゆっくり読みな」
佐川「そう、ですね。そうします」
佐川、長めに息を吐く。
佐川「あなたは?」
宮木「ん?」
佐川「帰らないんですか?」
宮木「あぁ。もう少し、花見酒を楽しもうかなと思って」
佐川「花見……? あぁ」
宮木「これ見ながら飲む酒が、一番美味いんだよな! っかー!」
佐川「ほどほどにしてくださいね」
宮木「君もね」
佐川「はい。それでは、おやすみなさい」
宮木「うん、おやすみ」
間
宮木「さてと、初仕事はどうだった?」
ナレーション「難しいです。あんなの、予測できません」
宮木「まぁそうだよね。でも人生なんて、あんなのがいっぱいだよ」
ナレーション「なんでもっと単純にならないんですか」
宮木「なんでと言われましても……予測できないから、人生は楽しいんじゃない?」
ナレーション「そんなもんですかね。自分は、わからないから怖いです」
宮木「そっか。ま、今回のは準備不足だったね。ちゃんと調べてたら、最後まで上手くつなげられたよ。どこかの誰かの人生を、ドラマとして伝える。それが私たちの仕事なんだから」
ナレーション「……すみません」
宮木「また次、がんばろ」
ナレーション「はい。あ、そういえば」
宮木「ん?」
ナレーション「なんであの人のお母さんは、手紙を書きなおしに来たんですか?」
宮木「あぁ。……旦那さんも、煙草を吸っていたんだって」
ナレーション「あぁ、なるほど」
宮木「思い出は、思い出すからちょうどいいんだよ」
ナレーション「そうですね」
宮木「うん。あ、次の依頼なんだけど、姉妹の日常を観たいらしくて……」
声、フェードアウト
音楽
母「最愛の息子へ。
こんな形でさよならを告げること、本当に申し訳なく思っています。
母としてあなたを育てなくてはいけないのに、私はずっと泣いてばかりでした。
寝ても覚めてもあの人はいなくて、ただ残り香と思い出だけがあって、幸せに終わりが来ることが、こんなに辛いとは思いませんでした。
でもそれが、あなたを置き去りにする言い訳にはなりません。
あの日、私はあの人の後を追ってしまおうと思っていました。
でも直前であなたの顔が浮かんで、今も一人で待っているのだろうか、もし私がいなくなったらどうなってしまうだろうか。母としての自覚が、あなたへの愛が、私の足を引き留めました。
家に帰ろう。帰って、あなたとご飯を食べよう。
そう思ったのです。
だから、あれは事故だったのです。
足元が崩れて、冷たい海に落ちたのは。
私のせいで、心ない言葉をたくさんかけられましたね。
過度な心配や好奇の目を向けられ、あなたは人を避けるようになりました。
あなたを守るはずが、あなたを追いつめることになってしまった。
本当に、本当にごめんなさい。
季節が幾度も巡り、あなたは大人になりました。
あの人と同じ、煙草を吸うようになりました。
咎めはしません。だって、あなたの人生だから。
あなたは、あなたらしく生きていいんです。
もう、私たちの影を追わなくていいんだよ。
あなたが私を支えようとしてくれたこと、帰り道でしっかり手を繋いでくれたこと、今でも鮮明に思い出せます。
その優しさは、強さは、これから先、あなたを幸せにするでしょう。
だから、自分を大切に、肩の力を抜いて、生きてね。
ごめんね。ありがとう。愛しています。
母より」
佐川「……おやすみなさい、母さん」
終幕
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